私たちが毎日、何気なく手に取る石けん。
その向こう側に、どんな景色が広がっているのでしょうか。
東京・墨田区に本社を構える松山油脂株式会社は、1908年に創業し、1946年から石けんの製造をスタート。以来、石けんやスキンケア製品の製造販売を通して、人々の暮らしに寄り添ってきました。
同社が展開する「Mマークシリーズ」は発売から今年で31年、今も多くの方に愛用され続けています。
この会社の魅力は、製品の品質だけではありません。地域への深い愛着。そして、環境への責任。その両方を大切にしながら、持続可能な事業を続けていることにあります。
東京の下町に本社を置きながら、富士北麓へ、そして徳島の里山へ。松山油脂は、各地の自然や地域社会と関わりながら事業を続けています。
なぜ、これほどまでにローカルの風景に深く関わり、汗をかき続けているのでしょうか。
今回は、同社で営業企画部に所属し、SDGs推進を担当する安川氏にお話を伺いました。一つの石けんの先に広がる、地域の風景を紐解いていきます。
安川美土さん
松山油脂株式会社営業企画部に所属し、主にSDGsや地域とのコミュニケーションに関わる業務を担当している。現在の業務を担当する前は、松山油脂の別事業として飲食店を運営していた経験を持つ。現在は墨田区との連携事業や社内啓蒙活動、地域振興イベントの企画・運営などを手がけている。特に月に1回社内スタッフ向けに発行している「SDGsジャーナル」では、環境課題への問題意識やSDGsについての社会の動きなどをスタッフに継続的に伝えることで、意識を共有できる会社になっていくよう、働きかけを行なっている。
地域と共に歩むこと、人に誠実であること
物語の始まりは、東京・墨田区の東墨田です。この地はかつて、革の鞣し産業で発達し、革から出る油脂を原料とした石けん製造業も増え、金属加工業、硝子製造業なども加わり、墨田区唯一の工業地帯として栄えました。
しかし時代の流れとともに古い工場は姿を消し、跡地には新しいマンションが立ち並ぶようになりました。松山油脂はこのまちの変化を、ただ静かに見ているだけではありませんでした。
「ピークは90軒ほどあったといわれる皮革鞣し工場も、いまでは10数軒まで減少し、工場跡地に集合住宅が建ち、新しい住民の方が増えてきました。そういう方たちに地域の産業を知ってほしいし、この地域に長く住み暮らす住民の方とも交流してほしい、そんな想いから、2025年10月に『ものひと広場@やひろ』というイベントを企画しました。
松山油脂を含む近隣のモノづくり企業4社が近くの公園に集まり、それぞれの仕事を紹介し、物販や飲食の提供なども行なうイベントで、1000人以上の方が区内外から来てくださいました。普段は人が少ない場所ですが、たくさんの笑顔を見ることが出来、地域の方にとっても良い刺激になったのではないかと思います」

そんな松山油脂には大切にしている3つのことがあります。「挨拶」「整理整頓清掃」「人の話しを聞く態度」。このことを全てのスタッフに徹底しています。
「『挨拶』をしっかりすることで、心の垣根がなくなります。『おはようございます』と相手に伝わるように、聞こえるように言っているか、松山油脂ではとても重要です。『整理整頓清掃』もしかり。きちんと『整理整頓清掃』することで、ミスや事故の防止につなげています。そして『人の話を聞く態度』。しっかり相手の目を見て、相槌を打ち、気になることがあれば質問する、こういうコミュニケーションができないと、良い人間関係はつくれないと考えています。」
地域と共に歩むとは、特別な活動をすることではなく、生業に誠実であること。その強い意志が、1995年の自社ブランド「Mマークシリーズ」発売以降、事業の原動力となってきました。

同社が目指しているのは、心身のすこやかさと日常の豊かさを基本とした『デイリーウェルネス』に貢献すること。
そのためにはまず、自分たち自身がウェルネスでありたいと考えているといいます。つくり手として、生活者として、「心身のすこやかさと日常の豊かさ」とは何かを考え、実践しています。
50年後もこの風景を残すために、今できることを
松山油脂の製品がつながっている風景。その一つは、山梨県にある富士河口湖工場です。ここでは、地下200メートルから汲み上げた富士山の伏流水が、製品の主成分である「水」として使われています。
「スキンケア製品の製造にはたくさんの水をつかいます。富士河口湖工場では、富士山の地層を通ってきた伏流水を純水化し、殺菌処理した上で、製品の原料として使っています。2006年に竣工した富士河口湖工場は国立公園の地域内にあります。出来るだけ自然の景観を壊さないように、建物も斜面に沿って建てました。木を切り開いた分、新しく植樹もし、20年経ってその木も大きく育っています。また、工場の中にいるだけではなく、モノをつくる会社の責任として、年に2回、スタッフが工場周辺の富士山へ続く道を掃除しています」

また、富士河口湖工場には「SDGs展示室」があります。透明石けんを仕上げる際に排出される、濃厚な石けん液から石けん分を分離回収して再利用する「ドラムドライヤー」や、冷却水を循環させて繰り返し無駄なく使うための冷却水循環装置など、環境負荷を低減するための装置が稼働している場所に、松山油脂のSDGsに関連する活動や成果が、パネルや現物で展示されています。
「自分たちが扱っているのは日用品、デイリープロダクトです。店舗や製品、ウェブサイトなどを通して、多くのお客様と接点があるからこそ、会社の理念や活動を、お客様に伝えていく義務と責任があると思っています。SDGs展示室も、伝える方法のひとつです」

自然環境は子孫からの借り物だからこそ
今、松山油脂が最も挑戦的なローカルアクションとして取り組んでいるのが、徳島県佐那河内村での「山神果樹薬草園」です。2020年に本格稼働したこの場所は、ただの原料調達の場ではありません。
「やるからには、しっかりと地域のためになることをやりたい。里山のきれいな風景を守りたい。そんな想いが最初からありました。山神果樹薬草園周辺の農家には、担い手不足で収穫できなかったり、傷があって出荷できなかったりする柚子をはじめとする和柑橘がたくさんあります。
わたしたちは、それらを適正価格で買い取り、精油を抽出しています。果実の外皮だけを削り取りながら、表面のボコボコとした油胞をつぶして抽出する、独自の丸ごと皮削り製法Ⓡです。この製法に使う機械は、イタリアでカスタマイズして輸入したもの。これによって果実を丸ごと活かす道が開けました。外皮からは精油を、果肉からは果汁を内皮・袋・繊維質はリキュールやコーディアルに、種子からはエキスを、最終残渣は有機菌床堆肥にして土に還します。
使われなくなった『無価物(価値のないもの)』を、新しい価値のある『有価物』へと生まれ変わらせる、山神果樹薬草園の循環型農業です」

「周辺農家から買い取った果実から製品をつくり販売し、その収益でまた果実を買い取る、その循環によって地域の経済が活性化して人が集まる、その結果里山が元気になる。山神果樹薬草園は、そのような“人の循環”も担っていきたいと考えています。
又、2025年から、山神果樹薬草園で使用している電力を100%再生可能エネルギーに切り替えました。電力の一部は、四国で営農型太陽光発電を手掛ける地元企業から供給されています」

誠実に向き合って、お客様との信頼を育む
石けんは生分解性が高く、排水として流れた後、最長でも2週間で水と二酸化炭素に100%最終分解されます。松山油脂は、こうした性質を持つ素材を選びながら、安全性と環境性、有用性という三つのバランスを問い続けてきました。
「いくら環境によくても、高すぎて誰にも届かなかったら意味がない。だから、バランスが大事なのだと思います。例えば、製品を充填する資材ひとつとっても、ガラス瓶はリサイクルしやすいけれど、重いし、小さなお子様が使うならプラスチックの方が安全かもしれないなど、何がベストなのかを常に考えながら製品設計をしています。松山油脂を代表するブランドMマークシリーズは、製品の説明をパッケージに詳しく書くことで、お客様に理解し納得して手に取っていただけるようにしています」

取材の最後、安川さんは「自分自身が楽になりたいから、やっている部分もある」と、照れくさそうに笑いました。子供たちが困らない未来を残したい。そのために、今できることを必死にやる。その真っ直ぐな意志が、一つの石けんに、生命を吹き込んでいます。
松山油脂が描き出すのは、そんな目に見えないつながりを大切に思うことで生まれる、穏やかで豊かな風景でした。1つの石けんが、富士山の清らかな水と繋がり徳島の里山にまで繋がっていく。
私たちが次に石けんを手にする時、その感触の中に、未来の子供たちへ繋がっていく健やかな里山と、清らかな水の巡りを感じることができるはずです。
