三重県菰野町(こものちょう)で萬古焼(ばんこやき)を製造する有限会社山口陶器。長らく他社ブランド製品の製造を請け負うOEM生産が中心だったこの会社は、2014年に自社ブランドを立ち上げ、その3年後、菰野町に直営店舗『かもしか道具店』をオープンさせました。2022年からは、地域の人々が自然とつながり合う交流拠点『かもしかビレッジ』の運営をスタートさせています。
一見多彩な取り組みに目を惹かれますが、その原点には、徹底的に『地域のため』を続ける姿がありました。
地場産業への危機感と、それを「地域のためになる産業」と捉え変化を起こそうとする、一人の後継者の覚悟。その想いの源泉を辿ります。
山口 典宏(やまぐち・のりひろ)さん
有限会社山口陶器 代表取締役。大手企業でのサラリーマン生活を経て、実家である山口陶器に入社。2014年に自社オリジナルブランド「かもしか道具店」を立ち上げ、2017年夏に初の実店舗をオープン。2022年からは、地域の人々や志ある経営者が集う「かもしかビレッジ」の運営をスタート。
産地の「残し方」を考える
山口さんが父親の経営する山口陶器に入ると決めた時、父親の口から出てきたのは引き止める言葉でした。
「辞めたほうがいい。サラリーマンでいたほうがいいよ」
萬古焼の製造は縮小を続けていたとはいえ、誇りを持って働いてきたはずの父親がそう言わざるを得ない現実に、山口さんは寂しさを覚えたと言います。
「自分はこの仕事をしている家族に育てられてきて、この仕事で食べさせてもらってきました。だから、斜陽産業だから辞めたほうがいいと言われたことを、寂しく感じたんです。自分が同じ立場になって、将来誰かが継ぎたいと言ったときに、自分は『やめたほうがいい』とは絶対に言いたくないと思いました」

当初は、この産地をなんとかして残さなければならないと考えていました。しかし業界に入って実感したのは、依然として残る古い体質です。
「いまだに手書きの伝票でのやり取りや、売上のために個人が自己犠牲を払う体質が残っていたんです。それを見ていて、『古い体質のまま、ただ産地を残していくことに意味はあるんだろうか』と考え始めました。一方で古い体質が残っているからこそ、伸び代はいくらでもあると思ったんです」
かつて地場産業には、地域の資源を使って雇用を生み、地域を元気にするという役割がありました。しかし高度成長期が終わった今、大規模な雇用や集団就職は存在しません。であれば、今の時代に合った別の形で「地域のためになる産業」へ変わらなければ、地場産業そのものが存在を許されなくなってしまうのではないか。
「このままの状態では残らない。昔の形のまま産地を残すというよりは、残し方について考えるのが大事なのではないかと思いました。地場産業だから、伝統産業だから、といって、変わらなくていいというわけではないんです」
地場産業とは、地域の資源を使う産業ではなく、地域のためになる産業である。この捉え直しが、山口さんの土台になっていきます。
下請け生産から自社ブランドへ
当初、山口陶器の仕事はほぼすべてが下請けの生産でした。取引先が「廃盤にする」と言えば、それに従うしかありません。注文が増えるほど身動きが取れなくなり、値下げの要求も断りにくくなる。
「相手が決定権を持っているリスクが怖かったんです。だから自分で責任が取れる仕事をするしかないと思いました。相手にボールを持たれたまま10ラウンドで倒れるくらいなら、自分で持って1ラウンドで倒れたほうがいい。そう思って自社ブランドを立ち上げました」
そんな決意で2014年に誕生したのが、オリジナルブランド『かもしか道具店』。最初に掲げたコンセプトは「食卓を通じて幸せを届ける」というものでした。
「家族の会話が減ってきている現代社会で、自分たちの製品で会話が生まれるきっかけになれば、という思いがあります。あえて少し手間をかける。例えば、スイッチを押せばご飯が炊ける炊飯器ではなく、火をつけて土鍋でご飯を炊く。その時間が、子どもたちも一緒になって何かをやるきっかけになり、会話を生む。そんな道具をしっかり作りたかったんです」

なぜ、都会ではなく「田んぼの真ん中」なのか
ブランド立ち上げから3年後の2017年夏、店舗「かもしか道具店」がオープンします。場所は、菰野町の田んぼの真ん中。周囲からは「都会に出店した方が売上が伸びる」「もっと沿線上の立地にすればいい」という声もありましたが、山口さんはこの場所にこだわりました。

「東京からこっちに来た人を案内する場所が、地域には必要だという思いがありました。都会に出せば売上はもっとつくかもしれない。でも、そういうことではないんです。わざわざ私たちの店に来てもらう環境ができれば、お客様は時間をかけてこの地域を訪れ、その周辺で食事をしたり、温泉に泊まったりしてくれるかもしれない。そういう地域のためになる取り組みを、私たちはやり続けたいんです」
2018年秋には、中川政七商店とコラボレーションイベントを実施します。これを機に、かもしか道具店の存在は広く知られるようになり、来店者も増えていきました。
「私たちは、地域で仕事をさせてもらっている立場。だからこそ、地域が元気になることに目を向けなければならない。地域が元気にならないと地域企業も元気にならないし、地域企業が元気にならないと地域も元気にならないんです」
「志のレイヤーで村をつくる」かもしかビレッジ
2022年から、山口陶器は地域交流拠点『かもしかビレッジ』の運営を始めています。ここでは月に一度「開村日」が設けられ、地域の人が集います。

「かもしかビレッジでの取り組みは、お金も特に生みません。場所もお借りしているので家賃も発生していますが、お金では買えないものがある。例えば、そこで地域の人たちが月に一回会話をすることで、災害が起こったときの防災につながるかもしれない。『あの人は今旅行に行っているはずだ』とわかれば、助けが必要な人を優先できる。そうした、地域のためになることの一つとして取り組んでいます」
かもしかビレッジを一緒に運営しているメンバーは、雇用している人たちではありません。他社の経営者や、地域を良くしたいと考える人たちが、休みの日に自発的に集まっています。

「人間、やれることは人それぞれ。私も本当に周りの人に助けられていて、自分一人でできることは何も無いと思っています。かもしかビレッジに強制はありません。気づいたら一緒にやっていた、そんな関係性なんです」
山口さんはこの関係のあり方を「志のレイヤーで村をつくる」という言葉で表します。会社や職業という枠組みではなく、目指す未来やゴールへの共感でつながる場です。
自分がやるか、めっちゃやるか
伝統ある産地に新しい風を吹かせている山口さんの歩みですが、決して順風満帆ではありませんでした。伝統ある産業だからこその苦い経験も多く味わってきました。
「同じ産地で、これからの未来を一緒に守っていこうと思っている同業者に共感してもらえないことももちろんあって、それは本当に寂しかったです」
しかしどれほど摩擦があろうとも、諦めるという選択肢はありませんでした。
「サラリーマンを辞めてこの仕事を始めたときから、やらないという選択肢はもう無かったんです。だから、やるかやらないかじゃない。自分が『やるか、めっちゃやるか』、そのどちらかしかない。自分が旗を立てて、何かあったら自分が責任を取る。その覚悟でやっています」
未来に課題を残さない
50代を迎えた山口さんは、今「終活」という言葉を使います。次の世代に会社をどう残すか、その土台を固める仕事に取りかかる時期だという意味です。父親から引き継いだ後のがむしゃらな20年と、これからの20年は違う仕事になる。そう捉えています。
「仕事はすべて『課題解決』。陶器もその課題解決の一つの道具として生まれていると思うんです。食事をするための器がなかったのを、誰かが土を固めて野焼きにしたら固くなって、それが便利だったから道具になった。そんな風に、それぞれの世代には、それぞれの課題があります」
業界の仕組み、土の枯渇問題、経営のあり方など。今の世代が直面している課題を曖昧にしたまま放置することはできないと山口さんは語ります。
「自分たちの世代の課題は自分たちがきちんと解決しなければ、次の世代が『過去の課題』も解決しなくてはいけなくなってしまいます」

地場産業の現場でよく議論される「後継者不足」という言葉に対しても、山口さんは一つの考え方を持っています。
「『この会社を継ぎたい』と言ってもらえる魅力的な会社を、自分たちが作っているかどうかが大切だと思うんです」
自社ブランドをつくり、店を構え、人が集まる場をつくる。
山口陶器が積み重ねてきた一つひとつの判断基準は、常に地域のためになるかどうかに置かれてきました。地場産業を、地域の資源を使う産業としてではなく、地域のためになる産業として捉え直すこと。
「地域のためになることなら、オッケー」。
そんなシンプルな判断基準のもと、山口陶器は地域と歩み続けています。
文:GOOD NATURE COMPANY 100 編集部