便利さを増やすことではなく、失われつつある価値を未来へ手渡すこと― VISONが育む、いのちを喜ばせる場所づくり

「便利さと引き換えに、私たちが忘れてしまった感覚があると思うんです」

広報の今原佐織(いまはら さおり)さんは、少しだけはにかみながら、丁寧に言葉を選んで話してくれます。

三重県多気町の豊かな自然に囲まれた場所に、日本最大級の食と癒しの複合施設「VISON(ヴィソン)」はあります。東京ドーム24個分という広大な敷地には、産直市場やレストラン、ホテル、薬草湯、農園などが点在し、年間を通じて多くの人が訪れます。

その風景を眺めていると、そこには施設の規模や機能だけでは語りきれない思想が流れていることに気づくでしょう。

地域で受け継がれてきた食文化や農業、職人の技、人と自然の営み。その価値を未来へつなぎ、新しい形で次の世代へ手渡していくこと。

その中心にあるのが、VISONが大切にしている一つの言葉です。

「さあ、いのちを喜ばせよう。」

食べること。働くこと。

学ぶこと。訪れること。

そのすべてを通して、人のいのちだけでなく、地域のいのちや自然のいのちまでも豊かにしていきたい。

そんな想いは、どのように育まれ、日々の運営に息づいているのでしょうか。

今回の「GOOD NATURE COMPANY 100」では、VISONの広報担当・今原佐織さんにお話を伺いました。そこには、地域の文化や自然、人の営みに向き合いながら、「さあ、いのちを喜ばせよう」を日々の現場で形にしていく姿がありました。

今原 佐織(いまはら さおり)さん

三重県多気町の食と癒しの複合施設「VISON(ヴィソン)」の広報として、施設の魅力を発信している。食事に無頓着な生活を送っていたが、VISONで丁寧につくられた調味料や食事に触れ、体に染みる感覚を知ったことで、施設のコンセプトである「さあ、いのちを喜ばせよう」の本質を自ら体感するようになった。現在は、現場の温度感を大切にする広報として、作り手の背景にある物語やVISONが大切にしている価値観を来場者へ届けている。

VISONが大切にする3つの柱

VISONという名前は「美しい村」という意味の造語です。今原さんたちスタッフは、毎日この広い敷地を駆け回っています。彼女の話を聞いていると、この村の活動には、3つの大きな柱があることが分かってきました。

1つ目は、「消えてしまいそうな伝統を、一緒に守ること」です。 例えば、この地域には江戸時代から続く「伊勢たくあん」があります。原材料となる大根は、三重県の伝統野菜「御薗大根」。自家製のぬかで2年以上もかけて漬け込んでやっと完成する、とても手間のかかるものです。 

「本当に美味しい。でも、作る農家さんはほとんど残っていないんです」。

伝統が消えゆこうとしている中、VISONプロジェクトを立ち上げたヴィソン多気株式会社の代表である立花社長は何度も漬物店さんに足を運びました。「僕たちが手伝うから、一緒にこの伝統を残しましょう」と。 今では、VISONの中にある農園で大根を育てるところから、スタッフも一緒に汗を流しています。

「私も冬にはぬかまみれになりながら、樽から大根を取り出す作業や、漬け込み作業もお手伝いしているんですよ。三重の特産品でもある伊勢たくあんが無くなってしまうことは、やっぱり寂しいことなんです。VISONはしっかりとお手伝いをしながら、守り伝えていかないといけないと感じています」。

2つ目は、「あえての『不便さ』の中に豊かさを見つけること」です。ここには、きらびやかな看板も、どこにでもある自動販売機もありません。夜になれば、星がよく見えるように、必要以上の街灯の明るさをおさえています。また施設内全体で音楽を流していません。そっと耳を澄ますと、虫の声や、風が木々を揺らす音が聞こえてきます。 

「お客様からすると不便な部分もあるかもしれません。でも例えば、都会から来られた方が星空を見て『綺麗だな』と思える瞬間。それって、やっぱりここにしか無い1つの価値であり、体験だと思うんです。便利さと引き換えに私たちが忘れてしまった『五感』を呼び覚ましてもらう。それを楽しんでもらえるように、VISONの目指しているものを伝えていくことが、私の課題でもあります」。

3つ目は、「最新の技術で、地域の課題を解決すること」です。ここは様々な企業が新しい技術を実験する場。地域だけで使えるデジタル通貨「美村PAY」を導入したり、自動運転のバスを走らせたり、さまざまな試みが行われています。さらに「Taki-VISON Open Lab」というプロジェクトを発足し、災害時に役立つ水素自転車の研究なども行っています。民間企業だからこそできる速さで、地域の人たちがもっと健やかに暮らせる未来の形を探っています。

働く中で感じた、いのちが喜ぶ原体験

今原さん自身、最初からこの価値観に馴染んだ生活をしていたわけではありません。

「以前は、食事にそんなに興味がなかったんです」。

今原さんは、少し意外なことを話し始めました。以前の彼女は、仕事に追われ、食事をゆっくり取る時間も無い日々だったそうです。

「早く食べなきゃ次の仕事が……みたいな毎日でした。当時は食事に興味がなくて、お腹が膨れれば、とりあえず満たされればいい。そう思ってコンビニで済ますことがほとんど。カップラーメンもしょっちゅう食べていました。美味しいものを食べて感動するなんて、そんな時間も余裕もなかったんです」。

そんな彼女が、このVISONで働くことになりました。ある日、VISONにあるお店で、お豆腐の定食を食べたときのことです。大豆の香りを感じられる、できたてのお豆腐。 一口食べたとき、食事が体に沁みていくのを感じました。

「今まで、食べて、あー美味しかったなって感じる時間を持たなかったんです。その感覚を私はこのVISONで知り、じっくり気づく時間を持つことができました。『さあ、いのちを喜ばせよう』というのは、こういうことなのだろうなと自分の中で実感しています」。

今原さん自身もまた、「いのちを喜ばす」という言葉の意味を、働く中で少しずつ実感しています。

共感で繋がる

この村には、たくさんの「店主」さんたちがいます。味醂を作る人、酢を醸す人、お酒を造る人。みんな、社長が自ら足を運び、一人ひとりと向き合って想いを伝え、共感を得た方々ばかりです。大手チェーン店ではなく、その人にしか出せない背景を持つお店が集まっています。

その1つが、そば処「伊勢 翁(いせ おきな)」。店主の伊藤さんは23歳のときにそば打ちに魅了され、50軒以上のそば店を食べ歩いたそうです。

そこで出会った「山梨 翁」のそばに惚れ込み、弟子入り。5年間修行を積んだ後、ロンドンやパリの日本食レストランで腕を磨いてきた職人です。

そんな伊藤さんがパリの店で出会ったのが、VISONの立花社長でした。

「VISONに出店しないか」という声に二つ返事で出店を決意した伊藤さん。VISONのコンセプトに強く惹かれたのも、決め手となりました。

伊藤さんが作るそばの特徴は、完全自家製粉にあります。「そばの製粉は管理が命」と話し、玄そば(殻つきのそばの実)を店内で丁寧に挽き、その日一番の状態で提供しています。

さらに、三重に移住したからには自分の手でそばを育ててみたいと、この土地の風土だからこそ作れるそばの形を目指し、日々挑戦を続けています。

VISONにはその他にも、こだわりと個性を持ったお店が軒を連ねています。

名人の技を受け継ぎ、三重の旬の食材にこだわる天ぷら屋。
鳥羽市相差(おうさつ)の海女が潜って獲ってきた新鮮な魚介が楽しめる海女小屋。
地元多気町で、松阪牛を飼育する牧場の直営精肉店。

どのお店も、VISONのコンセプトに共感し、この場所を共に育てる仲間として、それぞれの場所から「いのちが喜ぶ」を届けています。

理想を現実にするための、日々の積み重ね

この場所は、もともとは固い岩盤の山でした。木を植えても、なかなか育ちません。農業を始めるために、土を作るところから始めて、2年かかりました。

「これだけの広さですから、手入れは終わりがありません。でも、お客様に心地よく過ごしていただくために、日々手をかけています」。

道についても、当初は伊勢神宮の参道や昔の里山をイメージし、宮川の石を使った砂利道でした。しかし、高齢の方やベビーカーで訪れる方から「歩きにくい」という声をいただき、改善を重ねてきました。

「そこで自然石を使った舗装にしました。便利さを追求する商業施設が多い中で、この場所ならではの自然の心地よさを、どう体験していただくか。それが私たちの挑戦です」。

理想を掲げるだけでなく、それを実現するための試行錯誤。訪れる人々の声に耳を傾けながら、進化を続けています。

地元に戻った若者たちが、地域の新しい体温になる

VISONが開業し、その取り組みを続けてきた結果、少しずつ、景色が変わってきました。一度は都会へ出た若者たちが、この場所に惹かれて戻ってきているのです。

「地元に憧れのお店ができたから」と三重に戻ってきた人がいます。自分が憧れていたお店で、今度は自分が故郷の人たちに価値を届ける。そのことに、大きな喜びを感じているといいます。

バルの料理長を務める若者は、かつての活気を失っていく故郷を見て、寂しさを感じていたといいます。 でも今は、誇りを持ってこの地で働いています。

「自分の料理で、お客様に楽しんでもらうこと、元気になってもらうことが、三重への恩返しだと思っている、と話してくれました。VISONには地域に愛情を持って働いている若者がたくさんいます」。

「自然農法を学びたい」と縁のない多気町に来て、VISON内の農園を任されている子もいます。 誰かに強制されたのではなく、自分の意志で、この場所を選んだ人たち。地元に誇りを持てる場所がある。そのことが、新しい地域の体温を作っています。

「まずは、私たちがなぜ大切にしているのかを伝えることからだと思うんです」

全国には、価値があるけれどその魅力が伝わり切らず、消え行こうとしている文化がたくさんあります。今原さんは教えてくれました。「伝え方」ひとつで、商品の価値は変わるのだと。

例えば、一本のみりん。一般的な量産品と比べると、値段は高いかもしれません。でも、「原材料はもち米、米こうじ、焼酎のみで、約2年をかけてじっくりつくられている」と伝えて、試飲してもらう。

「体験をしていただいて価値を知っていただくと、皆さんファンになってくださるんです。みりんってこんなに美味しいんだ、って。お酢もそうです。木桶を使い、昔ながらの静置発酵という手法で時間をかけて作っているから、コクのあるまろやかな味わいになります。ただの『お酢』や『みりん』として見るか、そのストーリーを知って選ぶかによって、価値は全然変わってきます」。

まずは、自分たちがなぜそれを大切にしているのか。その「なぜ」を、目の前の一人に伝えてみる。そこから、本当の共感が生まれています。

◆編集後記

冬になれば、またVISONの漬物屋の軒先には、たくさんの大根が吊るされます。冷たい風の中で揺れる、真っ白な風景。それは、かつては日本中どこにでもあった、でも今はもう、なかなか見られない風景です。

「いのちを喜ばせる」。

それは、豪華な食事をすることでも、特別な場所に行くことでもないのかもしれません。今日のごはんを、ゆっくり味わうこと。夜空の星に心を寄せること。自分たちの足元にあるものの価値を、もう一度信じてみること。

そんな余白が、私たちの日常に、少しだけあればいいなと思います。

文 / GOOD NATURE COMPANY 100 編集部

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