日本のほぼ真ん中にある、岐阜県郡上市。白鳥町(しろとりちょう)の石徹白(いとしろ)集落で、古民家「助七」改修プロジェクトが進んでいる。
そこはよくある宿泊場所の提供にとどまらず、地域文化や風景を守り、次世代につなぐための重要な試みだという。
このプロジェクトを通じてどのように地域文化を保存・継承し、同時に事業性を確保しようとしているのか。
地域の暮らし、衣食住を体験できる宿泊施設が、いかにして地域と共生する場所となり得るのか。本記事を通じてその可能性を紹介する。
岐阜県石徹白(いとしろ)地域。ここでは、高齢化が進むとともに移住者が増えてきている。それでも、誰も住まなくなった空き家は増え続け、そうなると維持管理がされず、手がつけられなくなっている。馨生里さんが出合った「助七」も、そんな家のひとつだった。
馨生里さん
「この家は、もともとおばあちゃんがひとりで住んでいたんですよ。おばあちゃんが亡くなって人が住まなくなって、家の状態がだんだん悪くなっていって、最終的には屋根が折れてしまって。地域でも誰も手を出せないような状態でした。」
雪国の家は強い。けれど何十年も経つと維持するのは大変だが、その家を譲り受けることを決めた。
馨生里さん
「すごく立派な家で、昔ながらの間取りが残っていて。家主さんは次の雪が降る前に壊そうと思われていたんですが、譲って欲しいと相談すると快く譲っていただけて、本当にうれしかったですね。」
そんな家を新たな形で生かすために、馨生里さんは宿泊施設をつくる決意を固めたのは昨年末のこと。地域の民宿が減っていて、滞在したくても泊まる場所がない人が増えていたからだ。
馨生里さん
「石徹白洋品店のワークショップのお客さまも、泊まる場所がなくて困ってるんです。泊まれる場所ができることで、ここに来る人たちが暮らしを体験できる場所になるといいなと思っています。」
地域を知ってもらい、暮らしの良さを感じてもらう。今、彼女が描いている未来には、わくわくするようなプランがいくつもある。
馨生里さん
「白山信仰は、昔から神社を中心に広がっていて、登山道には大勢の人が訪れていました。昔の伊勢参りのように、白山に登るためにみんなが集まった場所だったんです。今の時代だからこそ、そういった場所のありがたさや、水を恵んでくれる山の大切さを伝えたい。ここが拠点となって、白山を訪れる人たちが増えるようになったら素敵ですよね。そうやって地域に新しい風を吹き込んでいけたらと思っています。」
宿泊施設の改修は、地元の歴史と文化、そして暮らしの温かさを蘇らせ、次世代に伝える目的がある。
家の間取りには昔の暮らしが残っているからこそ、その良さを生かそうと計画中だ。
馨生里さん
「『うちんなか』は囲炉裏で煮炊きが行われていた場所。同じように、みんなが集まり、温かみのある場所にしたいんです。『おくのでい』は安心して寝られる寝室に。」
雪国の古民家ならではの立派な梁や、床板を活かしたいと考えている。
馨生里さん
「新品の床もきれいだけど、ここは黒っぽくて少し無骨な板にしたいと思っていて。時間が経つことで生まれる暮らしの跡が残る床。それが、この家に生きた証を感じさせるんです。
床が少しささくれているところを、大工さんは心配していました。でも、そのままにしたいんです。それこそが、この家の歴史と暮らしを伝える大事な部分だから。」
宿泊施設は、最大6名まで宿泊できるように計画中だ。石徹白洋品店のワークショップに参加する人々や、地域の暮らしに興味がある訪問者が、ここで一緒に過ごせることを楽しみにしている。
ここに来る人々に「何もないけれど、全てがある」と感じてもらいたいと馨生里さんは話す。その言葉には、深い意味が込められていた。
馨生里さん
「白山の人たちは、何でも『ありがたい』と言うんですよ。雨が降れば畑が潤う、太陽が照れば作物が育つ。どんな状況でも、今ここにあるものに感謝するんです。」
おしゃれなカフェも、素敵な土産物屋さんもない。でも、ここには命を支えるすべてが揃っていることを感じてほしいと話す。
馨生里さん
「『雪が少ない年は、スキー場や除雪作業の人たちが困るから、やっぱり雪が降った方がありがたい』と、おばあさんたちが言っていた言葉も今も心に残っています。
雪が降ることで水が豊かになり、町の人たちにもその恩恵が届く。源流に住む私たちは、その恩恵をしっかりと感じて生活しなきゃいけないんです。」
何もないようで、実はすべてがある場所。自然と人々の命がつながっている場所に、訪れる人にもその感覚を味わってもらいたい。
馨生里さんが感じてきた、あたり前だけど、今は失われつつある自然とのつながり。それを再確認し、大切にすることが、この場所の魅力のひとつなのだ。
馨生里さん
「今、私たちの生活は商業施設や看板があふれ、余分なものが多すぎる。でも、ここでは本当に大切なものが見えてきます。この場所が、そういった感覚を取り戻せる場所として残っていることが、貴重だと思います。」
石徹白地域には、移住して農業を始めた方もいれば、元々地元で農業を営んでいる方も。彼らが手塩にかけて育てた野菜を使った料理を、magoemonと共に提供する構想が進行中だ。
馨生里さん
「石徹白は標高が高くて、昼と夜の温度差がすごく大きいんです。ここで育つお野菜やお米は、どれも甘くて、味がしっかり凝縮されています。」
馨生里さん
「隣の85歳のおじいさんは、冬の間ずっと在来種の石徹白かぶらの漬物しかおかずはなかったと言っています。寒い地域だからこそ、食材を保存する方法が大事なんです。今でもうちは冬中、たくさんの漬物を作り、食べるんですよ。」
保存食としての漬物を、地域の生活の知恵とともに、今の時代にも受け継いでいきたいと考えている。
「今は詳細設計に入っています。雪が解け次第、工事が始まる予定です。」
2025年3月現在、改修の詳細設計を進めている段階だが、いくつかの問題も浮き彫りになっている。豪雪地帯ならではの問題だ。
馨生里さん
「この冬は、20年以上ぶりの大雪で、移住して14年の私たちにとってもこれほどの雪は初めてでした。それで、予定していた設計を雪のことを考えて急遽変更したりしています。入り口が埋まってしまうので、どうやっても来てもらうか考えています。
ワークショップに参加される高齢の方や、温度差に敏感な方にも配慮したいと思っています。アプローチにも工夫が必要ですね。」
それだけではない。古民家だからこその難しさもある。
馨生里さん
「床暖房を入れたり、改修がどうしてもコストがかかるので本当に大変です。古いものをそのまま使うのではなくて、快適に過ごせる空間を工夫して作らないと、助七を残せませんから。
住み続ける場所として、ただの見学する施設じゃなくて、ちゃんと使える空間を作りたい。そうすることで、ここに価値を感じてもらえると思うんです。」
地域の文化や風景を守りたいと思っても、なかなか行動できるものではないだろう。リスクを取って労力を惜しみなく注ぐ原動力はどこから湧いてくるのだろうか。
馨生里さん
「原動力は、やっぱり石徹白が好きだから。本当に好きなんです。まるで恋愛しているみたいな気持ちです。今の時代、どこも均質化してきているのをすごく感じているんです。日本でも、世界中でも、個性が失われてきている。それが寂しく感じていて。」
彼女は、石徹白で過ごすと、宮本常一や柳田國男が書いた本で描かれた、昔の日本の人々を思い出すと言う。
馨生里さん
「そこに出てくる、おじいさんたちが本当に個性的で、面白いんです。食文化や暮らしのすべてが、個性に満ちている。だけど、今はそれがどんどん失われてきている。石徹白に来たとき、出会った人たちがまさにその本に出てきそうな位に、本当に個性的で、しかも自分たちで愉しみを生み出しながら豊かに生きているんです。
厳しい自然の中で生きる人たちは、必然的に個性的にならざるを得ないと移住して感じています。自分の本来の強みや、やりたいことを伸ばさないと、生きていけないから。
話している内容も、気質も、かつての日本人ってこういう感じだったんだろうな、と感じて、“忘れられた日本人”を見た気がしました。」
だからこそ、馨生里さんはそんなものを残していくことが今の時代には大切だと思っている。
「石徹白にまだ残っているもの、それを繋げていくことに私は勝手に使命を感じている」と強調する。
馨生里さん
「石徹白は、日本の原風景が残っている場所です。川が流れ、山があり、豊かな自然が広がっています。それに加えて、そこに住む人々の暮らしが、風景に反映されています。
隣のおばあさんが、『春になったら花が咲いて、それが嬉しくてありがたい』って言うんです。おばあさんたちが花を植えて、集落をきれいにしているんです。私も花を植えたくなります。
花を植えれば、地域がきれいになる。それがまた、心を使った地域作りになっていく。やっぱり原風景って、ただの自然環境だけではないんだと思います。
人の手が入り、心や営みが反映されてこそ、原風景だと思います。」
助七の改修プロジェクトの根底にあるのは、石徹白に残る原風景を未来につなごうとする想いだ。
そのためには歴史や文化を資源として活かしながら事業として成り立たせ、持続可能な形で守り続けることが必要だと感じている。
馨生里さん
「すぐに終わってしまうような事業の形では、地域や文化は守れません。今の時代に合った価値づけをする必要があります。ゲストハウスやシェアハウスのような形態が増える中、今回は1棟貸しという形を選びましたが、それも時代によって変化していくかもしれません。
例えばお寺であれば、昔の形をそのまま残すことが正解ではなく、時代に合わせて変化していく部分もあります。もしお寺の機能が成り立たないのなら飲食店や宿泊施設として新たな価値を生み出すことも必要です。」
地域の風景を守るだけでなく、事業として継続的に成り立たせ、次世代にその価値を伝えようとしている。
今後、より多くの人々がこのプロジェクトに共感し、地域の未来に貢献できることを願ってやまない。
「現在、ありがたいことに100%以上を達成しました。このクラウドファンディングでは、古いものを生かすために必要な資金を募っています。ストレッチゴール800万円を目指しています。歴史を次の世代に繋げるために、ぜひご支援いただければ嬉しいです。」
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「GOOD NATURE COMPANY 100」プロジェクトは、持続可能な社会の実現に向けた企業の活動内容を、おもしろく、親しみやすく、その物語をまとめたデータベースです。
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