時間の経過と美しさ

                                     大森葵 

                                     川本康生 

                                     松下美空 

私たちは「時間の経過と美しさ」をテーマに今回の国内研修についてまとめた。

私たちが普段、おしゃれや作業する際当たり前のように使っている「デニム」。そんなデニムが最近では一風変わった作られ方、使われ方をしているが皆さんはご存じだろうか。

 私たちは国内研修を通してまず初日に広島県福山市北部にある「HITOTOITO」に訪れた。この建物は、デニムパンツを作るために必要な専門知識や工業用ミシンを使った縫製技術を短期間で学ぶデニムスクールである。この付近のエリアでは繊維に関連する企業が多くあり、エリア全体で繊維の技術や歴史が詰まっている。 

 まず私たちがお部屋に入り目にしたのは「縫製技術講座」で使われる約8~10台の工業用ミシンだ。縫製技術講座とはデニムパンツを作るために必要な専門知識や技術を10日間で学ぶ講座である。そして黒木美佳さんのお話の中はじめに気になっていた「この数のミシンをどうやってそろえたのか?」ということについて聞くことができた。なんとこの数のミシンはすべて中古でありすべていただいたものであるのだそう。黒木さんの所属している委員会のメンバーの方々が持ち寄ってこの数の工業用ミシンを用意できたのだそう。また、そのミシンについても家庭用のミシンではデニムを作れないため工業用のミシンをこだわって集めていたそう。 

 そして、今回の「縫製技術講座」で最も聞きたかった「なぜこのような講座を作ったのか」についてお話の中で聴くことができた。黒木さんによると、最終的な目的としては縫製にかかわる若手の日本人を増やすというのが目標であるそうだ。そのような活動が始まったりゆうについて詳しく教えていただいたので述べていく。ある縫製工場の方が 

「日本人が繊維を縫っているのって珍しい」 

というように繊維工場では海外からの実習生が多いそうだ。その割合は驚きの約8~9割だという。外国人実習生たちは3,4年で自国に帰ってしまうためいくら教えても技術が継承されないという問題が発生してしまっている。このような問題の解決のためになにか良いシステムがないかといったことから日本人の若手を呼び込むためにこのような講座をたちあげたそうだ。その結果2018年から始めたスクールが現在まで続き26期が終わったところであり卒業生が175名、そのうち17名がパートや正社員を問わず就職につながったという。

 一通り縫製技術講座のお話を聞いた後、別の部屋に移動したのだがそこでも極めて印象に残るものを目にした。中にはデニムの生地によってつくられた椅子やソファ、靴などが置いてあった。それらも極めてユニークなデザインで目を引くものであったが少し離れたところに使わなくなったデニムを回収して山積みにして保管されていたのだがそれが何よりも目を引くものであった。 

それがこちらである↓

私たちは2日目の午前中広島県尾道市久保の尾道本通り商店街にある「尾道デニムショップ」を訪れた。尾道デニムショップは基本的に古着となったデニムを販売しているお店である。最近では、古着を着こなすファッションが流行っておりもちろん中古のデニムを履く方も多い。しかし、その中古のデニムを履く際デニム自身の歴史について考えながら使用することはあるのだろうか。

尾道デニムショップで販売しているデニムは、尾道で様々な職業の方に仕事中に履いてもらい1年ずつ新品を支給し履いていたものを値札に職業を書き販売している。

販売されている職業の例を挙げると大工さんなどがあったのだが仕事の中で膝をつくことが多いため全体的に色が落ちるのはもちろんのこと膝の部分が特に落ちていたり削れていたりなど職業の特徴が出ていた。特に私の中で印象に残ったデニムは工場で働いている方のデニムだ。全体的に色が落ちていたのは他のものとあまり違いがなかったが、他の違いとしてポケットの所にスマホの跡がくっきり残っていたところだ。このようなデニムを見ていると子のデニムはどのような人が履いていたのだろうかなど想像することができ、とても興味を持つことができた。このような考え方を持つことの楽しさを知ったため他の人にもこの楽しみ方を知ってほしいと感じる。 

街並みと時間

今回、大学の研修の一環として訪れたのは、福山・鞆の浦にある「湊の宿」、さらに尾道にある「U2」「LOG」、また独自に「尾道商業会議所記念館」にも訪れた。

「尾道商業会議所記念館」を除き、いずれの施設も、地域の歴史と景観を尊重しながら新たな価値を生み出しており、その取り組みはディスカバーリンク瀬戸内によって手掛けられている。異なる表情を持つこれらの場所は、それぞれに「時間の経過と美しさ」を語りかけてくる存在だった。どちらの町も昭和の時代に観光地として注目を集めて以降徐々に観光客が減少し、忘れかけ始めていた地域でそこに現代のニーズに合わせた取り組みが行われていることで、再び注目を集め始めている。街並みは時間の経過による懐かしさが美しさを感じさせている。それではまず、福山・鞆の浦にある「湊の宿」についての説明から始めていく。

鞆の浦「湊の宿」― 港町に息づく時間を体験する 

尾道を訪れる前に立ち寄ったのが、福山・鞆の浦にある「湊の宿」だった。鞆の浦は古くから潮待ちの港として栄え、江戸時代の町並みがそのまま残る町だ。尾道の坂道や商店街とはまた異なり、海と共に生きてきた人々の営みが色濃く息づいている。石畳の路地や港の風景を歩くだけで、歴史に抱かれるような感覚を覚えた。「湊の宿」は、そんな町家を再生してつくられた宿泊施設である。

外観は当時の面影を残しながら、中に入ると現代的な快適さが整えられ、古さと新しさが違和感なく共存している。梁や柱には長い年月を刻んだ質感があり、空間全体に独特の落ち着きを与えていた。過去と現在を同時に旅しているような、不思議な居心地の良さがあった。印象的だったのは、単に泊まるだけの場所ではなく、「町とつながる宿」であるという点だ。宿を出ればすぐに港や路地が広がり、地元の人々の生活が自然に目に入ってくる。観光のために整えられすぎていないからこそ、鞆の浦の素顔に触れられるのだろう。宿そのものが町の時間を受け継ぎ、暮らしの一部になっているように思えた。後に訪れた尾道の「U2」や「LOG」と比べると、「湊の宿」はより静かで内面的な時間を体験できる場所だと感じた。

賑わいの中に新しさを融合させた尾道の施設に対し、鞆の浦は時間の流れをゆっくりと抱きしめるように残している。その姿勢には共通して「過去を大切にしながら未来へつなぐ」というディスカバーリンク瀬戸内の理念が表れていた。「湊の宿」での滞在は、ただの旅ではなく「時間とともに生きる」ことを思い出させてくれる体験だった。

港町の新しい玄関口 ― U2

港に面した「ONOMICHI U2」は、かつて海運倉庫だった建物を丁寧にリノベーションした複合施設だ。瀬戸内海を望むロケーションに、鉄骨の骨組みや木材の梁がむき出しになった空間が広がり、その中に自転車を積んだまま泊まれるホテル、壁のないカフェやベーカリー、アパレルショップ、レストランが緩やかに共存している。倉庫だった頃の無骨さと、現代的なデザインの洗練が同居しており、訪れた人はまずその開放感に驚く。

施設の内部には、あえて明確な仕切りが設けられていない。カフェの隣にはベーカリーがあり、さらにその奥にはアパレルショップが自然につながっている。これは、訪れる人々が自由に行き来し、思い思いの時間を過ごせるようにとの配慮からだ。特に自転車旅行者にとっては、愛車を押しながら施設内を移動できるこの設計はありがたい。尾道は「しまなみ海道」の玄関口として知られ、多くのサイクリストが訪れる町だ。U2は彼らを歓迎し、港町としての歴史を新しい形で受け止めている。

かつてこの場所では、港に着いた船から荷物が降ろされ、線路沿いを通って町へと運ばれていった。倉庫の中は木箱や麻袋で埋め尽くされ、潮の匂いと油の匂いが入り混じっていたという。今、その物流の記憶は、観光客や地元の人々が集う賑わいに姿を変えた。コーヒーの香りや焼きたてのパンの匂いが漂い、潮風とともに港町の今を感じさせる。U2は、尾道の新しい玄関口として、過去と未来をつなぐ時間を刻み始めている。

記憶を未来へつなぐ ― LOG 

山手の坂道を登った先に現れる「LOG」は、元アパートを改修した宿泊施設だ。建物はかつて、尾道の新婚世帯が憧れたモダンな集合住宅だった。南向きの窓からは海が見え、暮らしの中に港町の風景が自然に溶け込む。ここには、かまぼこ屋の店主や人気ラーメン店の創業者が暮らしていた部屋もあった。壁紙や床材、間取りの一部には当時の名残が残り、かつての生活の匂いがほのかに漂っている。

LOGの運営方針は明快だ。「地域の人々が喜ばないことはしない」。観光地としての魅力を高める一方で、そこに暮らす人たちの静かな日常を守るための配慮が徹底されている。その象徴的なルールが「チェックインは午後8時まで」という制限だ。夜遅くに大きな荷物を抱えた宿泊者が坂道を上り下りすれば、周辺住民の生活に影響を及ぼしかねない。だからこそ、あえてこの制限を設け、地域との共生を大切にしている。

館内のデザインは、世界的建築家ビジョイ・ジェイン氏が手掛けた。彼の特徴は、素材の質感や光の入り方を最大限に生かすこと。尾道の古い木材や土壁の色合いを取り入れつつ、現代的な快適さも備えている。ロビーには柔らかな自然光が差し込み、時間の経過とともに壁や床の色が微妙に変わっていく様子が楽しめる。カフェでは、地元農家から仕入れた果物がふんだんに使われる。特に印象的なのは、規格外品や余剰品を活用する取り組みだ。市場には出回らない小ぶりの桃や形の不揃いなイチジクが、パティシエの手によって美しいパフェや香り高いジャムに生まれ変わる。その瞬間は、まるで時間の経過が新しい価値を生み出す瞬間を目の当たりにしているようだ。ここでは「古いもの」や「余ったもの」が、再び輝きを取り戻す。

明治の面影を残す ― 尾道商業会議所記念館 

海沿いの通りに堂々と立つ尾道商業会議所記念館は、明治41年(1908年)に建てられた赤レンガ造りの建物だ。当時、この町の商人たちはここに集まり、取引や会議を行い、地域経済を動かしていた。外壁は赤レンガと白い石のコントラストが美しく、窓枠や装飾には明治時代の洋風建築の影響が色濃く残っている。

館内に足を踏み入れると、床板がかすかに軋む音が響く。壁には当時の商業活動を記録した写真や帳簿が展示され、100年以上前の尾道の息遣いが蘇るようだ。商人たちの笑い声、議論の熱気、港から届く汽笛の音…。それらはすべて、この場所の空気に染み込んでいるように感じられる。観光施設としての華やかさは控えめだが、代わりにここには「時の重み」という美しさがある。近代化の波に押され、町の多くの建物が姿を変える中で、この記念館は変わらず町を見守り続けてきた。潮風にさらされ、時折レンガの隙間に草花が芽吹くその姿は、時間と共存する建物の象徴でもある。 

「時間の経過と美しさ」が教えてくれること 

鞆の浦の「湊の宿」は、古い町家をできるだけあったままを残しながらも人が触る部分のみ、新しいベッドにするなどの、最低限の手を加えている。また、尾道の「U2」や「LOG」は、モダンなデザインを入れていることによって、古さを比較の中で良く見せていると感じた。そして尾道商業会議所記念館は、百年以上の時を超えて町の変遷を見守り続け、歴史そのものの重みを伝えている。

それぞれの場所に共通しているのは、「古いものを壊すのではなく、価値を見出し、未来へ手渡す」という姿勢だ。時間は建物や暮らしを朽ちさせる一方で、その痕跡を愛おしいものへと変える力を持つ。鞆の浦や尾道では、その力が町全体に宿り、訪れる人の心を静かに揺さぶってくる。町を歩きながら、ふと港の風に吹かれると、かつて船が行き交った時代の気配が漂う。坂道の途中から見える瓦屋根の向こうには瀬戸内の海が広がり、カフェの窓辺に差し込む午後の光は、今この瞬間も新しい記憶を紡いでいる。「時間の経過と美しさ」は、建物の壁や床だけでなく、人々の営みや暮らしの中に生き続けている。

変わらないものと、変わり続けるもの。その両方が重なり合うことで、この町は豊かに息づき、訪れる人に忘れがたい風景を残していた。 

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